Kuina-chan

くいなちゃん2019年11月18日


「論理」とは何か、について考えました。

科学も哲学も宗教も、その根底には「論理」的な考えがあり、それぞれの正しさは「論理」を用いて説明されています。 わたしも論理には信頼を置いていますが、一方で「論理」自体の正しさを「論理」的に説明することはできないようにも思えます。 「論理」とは一体何でしょうか。

1論理とは

よく聞く話として、仮に十分高度な技術を有する宇宙人がいたとすると、きっと「1+1=2」や「素数」などの概念を理解しているはずだという意見があります。 実際に、素数の信号を宇宙に送ったりもしているそうです。 このような「論理」の概念は全宇宙で共通の真理であるように思えます。
しかし、これからそれが成り立たない例を考えてみたいと思います。
まず、人間と同等の技術力を持つ宇宙人がいたとします。 この宇宙人は人間とは異なり、体から周囲に伸びたセンサーで、周りの分子の状態がある程度把握できたとします。 そして高度な脳の演算により、未来に周囲で起こることが大雑把にシミュレートできます。 この宇宙人には、手足があって人間並みの行動を起こせますが、目などは無く、周囲の分子の状態を得る以外の感覚はありません。
さて、このような宇宙人がいたとすると、仮に野生動物に襲われたときには分子のシミュレートによって自分の肉体の損傷が予測できますので、逃げたり反撃などをして危険が回避できる未来が選択できそうです。 このとき宇宙人自身は、意識の上では周囲を分子という単位で認識しておらず、シミュレート結果が自分にとって都合が良いか悪いかだけを感じ取るため、周囲に何があるかは把握していません。
都合の良い未来が得られるように行動を選択することが宇宙人にとっての全てです。 ただし、より安全な未来を選択していった結果、武器を作って戦ったり、船を作って海に進出したりして、人間と同等の高度な技術を手にするかもしれません。
ではこの宇宙人にとって、論理とはどう捉えられるでしょうか。 人間にとっては周囲に存在する動物は「1匹+1匹=2匹」などと捉えられますが、宇宙人にとっては分子の運動の結果の良し悪しでしか世界を捉えないので、そもそも「1」という概念がありません。 動物という、まとまったかたまりとしての「物事」は捉えられないのです。

2論理の由来

それでは、そもそも人間が認識している「物事」とは何なのでしょうか。
人間の幼児が白いネズミに対して恐怖を抱くと、白いネズミだけでなくウサギなどの似たものにも恐怖を示すようになったという実験があります。 このとき幼児は、ネズミやウサギを「白くふわふわしたもの」という物事へと抽象化し、「白くふわふわしたものは怖い思いをさせられるため、これは怖い思いをさせられる」という論理的な演繹をしたと考えられますが、であればこの論理的な演繹は人間が生まれながらに持っている能力と考えられそうです。
これは、先ほどの宇宙人では起こりえません。 この宇宙人にとって、目の前のものに襲われるか否かは、分子をシミュレートした結果でのみ判断されるので、白いネズミに襲われたとしても、「白いネズミ」ではなく「このまま何もしないでいると危険がある」としか認識せず、他のネズミやウサギも危険であるとは類推しません。
このように考えると、ネズミに恐怖を抱いた人間がウサギが安全であることを知るには、宇宙人とは異なり何度も体験して学習する必要があるため、宇宙人に比べると未来への予測は近似的であると言えます。 言い換えると、周囲の分子をシミュレートできない人間は、未来を近似的に予測するために仕方なく「物事」の単位に抽象化して判断していることになります。
論理とは、この人間の抽象化能力によって生み出されたものだとわたしは考えます。 例えば人間の幼児が「白くふわふわしたものは~である」という認識に加え、「青く硬いものは~である」などといった認識を学習によって積み重ねたとすると、この2つは「~は~である」という言い回しが共通していることに気付いて「AはBである」と抽象化されていくでしょう。 これこそが「論理」だと思っています。
人間以外でも、犬や猿なども人間と同様、似ている物事に対して同じ反応を示すような学習を行いますので、抽象化能力がある程度備わっていると言えそうです。 しかし原始的な生物になるほど、この性質は見られません。 そこでこの抽象化能力、つまり論理とは、生物の進化の過程であるとき偶然に備わったのではないかという見方もできそうです。

3論理の正しさ

もし論理とは生物が進化の過程で獲得したものに過ぎないとするならば、論理は宇宙の真理ではなく、論理を絶対的なものだと確信できないかもしれません。 一方で、少なくともこの能力を備える人間が生存競争を勝ち抜いてきたことは事実です。
宗教、哲学、科学などにおいては、論理的な正しさが追求されますが、わたしはその正しさを無条件に信用する前に、自分が扱おうとしているものが何であるかを理解したいです。
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