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Kuina-chan

くいなちゃんAug 22, 2017


「論理的に正しい」ことは、本当に正しいのでしょうか。

科学も哲学も宗教も、その根底には「論理」的な考えがあり、それぞれの正しさは「論理」を用いて説明されています。 わたしも論理には信頼を置いていますが、一方で「論理」自体の正しさを「論理」的に説明することはできないようにも思えます。
それでは、そもそも「論理」を使って様々なものの正しさを説明しようとするこれまでの方法は、本当に正しいのでしょうか。 「論理」とは一体何なのでしょうか。

論理とは

よく聞く話として、仮に十分高度な技術を有する宇宙人がいたとすると、きっと「1+1=2」や「素数」などの概念を理解しているはずだという意見があります。 実際に、素数の信号を宇宙に送ったりもしているそうです。 このような論理的な概念は全宇宙で共通の真理であるように思えます。
しかし、これからそれが成り立たない例を考えてみたいと思います。

論理が成り立たない生物

まず、人間と同等の技術力を持つ宇宙人がいたとします。 ひとまず「くいなちゃん星人」と呼びましょう。 くいなちゃん星人は人間とは異なり、体から周囲に伸びたセンサーで、周りの分子の状態がある程度把握できます。 そして高度な脳の演算により、未来に周囲で起こることが大雑把にシミュレートできます。 くいなちゃん星人には、手足があって人間並みの行動を起こせますが、目などは無く、周囲の分子の状態を得る以外の感覚はありません。
さて、このようなくいなちゃん星人ですが、仮に野生動物に襲われたときには分子のシミュレートによって自分の肉体の損傷が予測できますので、逃げたり反撃などをして危険が回避できる未来が選択できます。 このときくいなちゃん星人自身は、意識の上では周囲を分子という単位で認識しておらず、シミュレート結果が自分にとって都合が良いか悪いかだけを感じ取っており、周囲に何があるかは把握しません。 都合の良い未来が得られるように行動を選択することがくいなちゃん星人にとっての全てです。 しかし、より安全な未来を選択していった結果、武器を作って戦ったり、船を作って海に進出したりして、人間と同等の高度な技術を手にしていきます。
ではくいなちゃん星人にとって、論理とはどう捉えられるでしょうか。 人間にとっては周囲に存在する動物は「1匹+1匹=2匹」などと捉えられますが、くいなちゃん星人にとっては分子の運動の結果の良し悪しでしか世界を捉えないので、そもそも「1」という概念がありません。 動物という、まとまったかたまりとしての「物事」は捉えられないのです。

論理の由来

それでは、そもそも人間が認識する「物事」とは何なのでしょうか。
有名な実験で、生後11ヶ月の人間の幼児に白いネズミに対する恐怖を学習させると、白いネズミだけでなくウサギなどの似たものにも恐怖を示すようになったというものがあります。 このとき幼児は、ネズミやウサギを「白くふわふわしたもの」という物事へと抽象化し、「白くふわふわしたものは怖い思いをさせられるため、これは怖い思いをさせられる」という論理的な演繹をしたと考えられますが、であればこの論理的な演繹は人間が生まれながらに持っている能力と言えそうです。
これは、くいなちゃん星人では起こりえません。 くいなちゃん星人にとって、目の前のものに襲われるか否かは、分子をシミュレートした結果でのみ判断されるので、白いネズミに襲われたとしても、「白いネズミ」ではなく「このまま何もしないでいると危険がある」としか認識せず、他のネズミやウサギも危険であるとは類推しません。
このように考えると、ネズミに恐怖を抱いた幼児がウサギが安全であることを知るには、くいなちゃん星人とは異なり何度も体験して学習する必要があるため、くいなちゃん星人に比べ未来への予測は近似的であると言えます。 言い換えると、周囲の分子をシミュレートできない人間は、未来を近似的に予測するために仕方なく「物事」の単位に抽象化して判断しているように思えます。
論理とは、この人間の抽象化能力によって生み出されたものだとわたしは考えています。 例えば先ほどの幼児が「白くふわふわしたものは~である」という認識に加え、「青く硬いものは~である」などといった認識を学習によって積み重ねたとすると、この2つは「~は~である」という言い回しが共通していることに気付いて「AはBである」と抽象化されていくでしょう。 これこそが「論理」だと思っています。
人間以外でも、犬や猿などは人間と同様、似ている物事に対し同一の反応を示す学習を行いますので、抽象化能力、つまり論理的思考がある程度備わっていると言えそうです。 しかし植物や原始的な生物になるほど、この性質は見られません。 そこでこの抽象化能力、つまり論理とは、生物の進化の過程であるとき偶然に備わったのではないかという見方もできそうです。

論理の正しさ

もし論理が宇宙で共通の真理ではなく、生物が進化の過程で獲得したものに過ぎないとするならば、論理は宇宙の真理ではないかもしれません。 少なくとも論理の根底にある抽象化能力によって人間が生存競争を勝ち抜いてきたと考えると、この能力を活用することは生物としての意義がありそうですが、一方で論理とは未来を近似的にしか予測できない生物が仕方なく身につけているものだとするならば、これを絶対的なものだと確信できなくなります。
宗教、哲学、科学などにおいては、論理的な正しさが追求されますが、わたしはその正しさを無条件に信用する前に、自分が扱おうとしているものが何であるかを理解したいと思いました。
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